書心忘るべからず〜夢のあとさき

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

Posted on --/--/-- --. --:-- [edit]  /  trackback: --  / comment: --

自然体であるということ 

久しぶりの更新は、書から離れてみようと思う(笑)

考えてみればずっと 書の事ばかりを考えている日々だった。
それは今始まったことではないけれど(笑)
夢の中でも臨書をしていた…つい先日のこと^^;
呆れてしまうけど、それが今の私なんだから仕方がない(笑)


…あ、書の話から離れるんだった(笑)




なんていうか、日々色んな事がありますね^^;
良い事も、悪い事も、普通の事も、何でもない事も
その度に、何か意味があるのかと思ってしまう。

何か起こる度に、自分が何か試されているのか…
こういう時の心の持ちようを試されているのかと思ってしまう。

日々色々変化する。
昨日と今日ではまるで景色が変わったりする。
その変化にどう対処するのか、常に試されているのか?と思ってしまう。



そんな時に結局落ち着くところは、「自然体」ということだ。



亡き父からの教訓だった。
昔から言われて育った。「どんな時も自然体でありなさい」と。

自分を本当の姿よりも大きく見せようとしたり、
本当の姿よりも強く見せようとしたりするなかれ。
ありのままの自分の姿で、自然のままに生きなさい、と。


「自然体」
一番簡単なようで、実は一番難しいのかもしれない。
生きているだけで色んなものを背負い込むのが人間。
それがいつしか堅い鎧のようになって自分をガードする。時には人を攻撃もする。


長い間かけて出来上がった堅い堅い鎧を、一枚一枚はがせるのかどうかも全て自分次第で
誰かが剥がしてくれるわけじゃない。手伝いはしてくれても。
剥がす手伝いをしてくれる人を受け入れられるかどうかも自分にかかっている。


時には、自然体が何なのかが自分でもわからなくなってしまったり。
どうある事が自分にとって自然なことなのか。


きっと多分、「しっくり来る」って事が自然体ってことなのかな。
自分で自分が嫌になったり、やってて気分が悪い事、それは不自然なこと。
それを素直に認める勇気を持てるかどうか、それって結構勇気のいることで。
大抵は、私はこれでいいんだからって突っぱねる。そうじゃないことでも。
自分で自分の不自然さを認めない限り、結局変われないんだろうと思う。


大昔、私も今とは大分違う人間だった(笑)
自然体にと言われながら、実はそうじゃなかったのかもしれない。
でも自分で自分の嫌だと思うところを認める事が出来たとき、とても楽になった。
そして少しだけでも、そこから変われたと思う。
楽になれる、ってとっても大事なことで。


人は変われないとよく言うけれど、私はそうは思わない。
だから今も、変えたい自分の嫌なところを認めていきたいと思う。
認める勇気を、持ち続けたいと思う。


スポンサーサイト

category: わたしについて

Posted on 2016/09/02 Fri. 16:42 [edit]  /  trackback: 0  /  comment: 0

母と私と欧陽詢 




今日は母の三回目の命日。
予定していた用事がキャンセルとなり、思いがけずゆっくりと過ごせる一日に^^


両親の命日には必ず写経を書く事にしています。
今日は写経から始まった一日となりました。
最近小筆の鍛錬を怠っていたため、出来はヒドい有様^^;
でも今日は上手い下手ではなく、気持ち優先、ということで!(笑)
もっと小筆の練習もしなくては、と肝に銘じた次第です^^;

うちはちょっと(多分)変わっている家なので、三回忌でも
法事をやったり親族が集まったりお坊さんを呼んだりもしません。
常に心には両親を想う心がある。毎日が法要。
だから特別な事は必要ありません。
それは両親から受継いできた精神でもあります。
ただ、私の中で私が出来る供養の仕方、ということで
毎年写経だけは欠かさずに書き、色々な思い出を想い出す日にしています。
もう3年なんて、本当に信じられないくらい。



母方の祖父は学校や家で書道を教えて生計を立てていた話は前にもしましたけれど、
母はあまり昔の事を語りたがらない人だったので
祖父の情報って本当に少ないんですよね(^_^;)
それに、母自身は書をやってないので、
書に関しての知識ももちろんなかったわけで
そういう話を母から聞けることは皆無だったのですが
私が大人になってちゃんと書道を学ぶようになってからわかったことがあって、
それに気がついた時、鳥肌ものだったのでした。


母には双子の姉がいるのですが、二人の名前を陽子と詢子、というんです。
母が詢子。
書道をやっている方はもうお気づきかと思うのですが(笑)
そう、母姉妹ふたりで「陽詢」となるんです。
母の詢子という名前の漢字が珍しいので
昔からいつも絢子に間違えられることが多くて
何故こんな漢字を使ったのか
母に名前の由来は何なのかを尋ねた事もありました。
母の返事は「父が書道なんてやってたから漢字にこだわってたんでしょ」、とそれだけ^^;
でも、漢字にこだわっていたのなら、陽子だってもっと難しい漢字があったのではないか、
私は母のその説明に腑に落ちないものを感じていたんです(笑)


そして大人になり、私が書道を学ぶようになり、突然気がついたのです。
あれは欧陽詢からとったものではなかったのかと。
祖父の情報は全くありません。吉田苞竹先生の門下だったこと以外、
誰をよく臨書したのか、誰に影響されていたのか、全く知る由もありません。
でも、母の名前の秘密に気がついた時から
きっと祖父は欧陽詢をよく学んでいた、あるいは好きだったのではないかと思うようになりました。
娘の名前につけちゃうんですもの。しかも双子ふたりに。
書道をやっていて欧陽詢を知らぬはずがない。
偶然二人の名前をそうしたとはとても思えませんでした。


欧陽詢といえば九成宮。
元々はあまりやりたくない楷書(^_^;)笑
だってあまりに綺麗すぎてレベル高すぎなので(^_^;)
でも、母を通して祖父の想いを垣間見た?(勝手に笑)以上、
やはりそれを学ぶべき、と思うようになりました。
なので最近はずっと九成宮、書き続けています。
もちろん時々他のものも書きますけれどね。
九成宮はどんな臨書をやった日でも必ず一枚は書くようにしています。


…あるいは勘違いかもしれません(笑)
本当に単なる偶然で陽子と詢子と名付けただけなのかも
それでも構わないのです^ ^
勘違いが高じて苦手が得意になってくれたら何よりのこと^ ^
それに何だかそんな妄想をしているとロマンが広がるじゃないですか!(笑)


今日もこれから九成宮。
天国のおじいちゃんも、まさか孫がこんな書道バカになるとは
夢にも思っていなかったことでしょうね(笑)
父と母も一緒になって苦笑いをしている事でしょう(笑)


そんな事を想いながら、母の三回目の命日は過ぎていきます…


臨九成宮

category: わたしについて

Posted on 2016/07/22 Fri. 14:07 [edit]  /  trackback: 0  /  comment: 0

赴くままに 

IMG_5710.jpg


人はつくづく、感情の生き物だな〜って思う。

私は心が乱されるのがニガテ。いつもコントロールしていたい、自分の気持ちを。
常に冷静に、客観的に、理性的に、って思いが強いのかもしれない。
でも、実際そんなに上手くいくわけなくて。

だって、人は感情のいきもの、なんだもの。

この年になって、最近は気持ちに抑制が利かなくなって来た(笑)
ホントは、年をとって落ち着いてくるものなのかもしれないのに…ねぇ^^;
私の場合は完全に逆だ。今までコントロールしようとしてきた事が反動となっているのかも。

書に関しても、他の事に関しても、興味があったり惹かれるものに対しての抑制が利かない^^;
今一瞬というものが、本当に一瞬だという事の意識が強くなったからなのかもしれない。

後回しにして、もう一回機会が巡って来ることなんてほどんどない。
人との出逢いもそうだ。
今、私のところにきたご縁、出逢い、きっかけ、それは今一瞬のこと。
次はきっともうない。きっかけはそんなに転がってはいない。
だから多少の無理はしても、何とかなるものなら何とかしたいって思う。
自分の心の声の赴くままに。


無理はよくないよ、マイペースで、…私もよく人に言ったりするけれど
多少の無理をしなかったらきっと何も起こらない。何も始まらない。
小さな無理、は絶対に必要。
何かを得たいと思っているのならば。何かを欲しているのならば。


そのために忙しい毎日になっているけれど、
今私は「生きている」、それは日々感じられている。
それだけで充分、幸せな日々だ^^


※写真は臨蜀素帖。

category: わたしについて

Posted on 2016/06/29 Wed. 00:25 [edit]  /  trackback: 0  /  comment: 0

たいせつなもの 

IMG_5400.jpg


私は基本、ひとりが好き。
…というよりも、一人になる時間が自分には欠かせない、と言った方がいいのかな。
友達や大切な人と過ごす時間はもちろん好きだけれど、そういうことではなく。

これは大昔からそうで、結婚する前、家族と住んでいた頃から変わらない。
幸い、両親、兄弟にも恵まれて、私はとても仲のよい幸せな家庭に育ったけれど
それでも思春期の頃くらいから、一人の時間というのは絶対に必要だった。
家族が寝静まった後で、自分の部屋に一人、ずっと起きていた事が結構多かった。
何をするというわけでもなかったけれど、色々考えたり思ったり、そんな時間が好きだったのかな。
…今の夜更かしにも似ていたりするから笑えるけれど(笑)


それは人嫌いというのとは全く別もので、
基本的には私は人間が大好き。
これまた幸いなことに、今まで周りの人にとても恵まれてきた。
そりゃね、色んな人がいるので、それなりに変わった人や
どうしても受け付けられない人もいるにはいましたけれど、
でも、基本的にはとても良い人に恵まれた、と私は思っています。


私が人に対して求めるものの一番は「信頼」かな、と思う。
そのために色んな話をする。色んな話を聞く。
その人を理解したいと思う。それが人間関係だ、と感じているから。
信じてもらえなかったり、相手の事が信じられなければ、
関係としては意味のないものに思える。
そこに価値を置く意味もないように思える。
相手を尊重していなければ信頼は生まれない。
尊重とは、尊敬の念、尊いものとして大切に扱うこと。
自ずとそれは立ち振る舞いや態度に表れるから。


自分がこれまで深く長く付き合いを続けてきている友達、或いは仲間たち、家族も含めて
それに共通することは多分そんな関係だから。
私は彼・彼女達を心底信頼しているんだって思う。
相手がどうかはわからない。でも、私が信じているのだからそれでいい^^
それが出来ない人達は残念ながら「知り合い」の枠になってしまうんだろう。


大切なものは、とことん大切にする。大切にしてくれる人にはとことん向き合う。
大切にするとは、相手の気持ちになって考えるということ。
その人の役になら喜んで立ちたいし、迷惑ももちろんかけたくないと思う。
でも、私の事を軽んじている(と感じる)人に対しては願い下げ。
そこだけはハッキリしてる。

…認めなくないけど、やっぱりこれってB型だから、なのかしらん?


写真は没サンプル^^;

category: わたしについて

Posted on 2016/06/04 Sat. 13:57 [edit]  /  trackback: 0  /  comment: 0

限られた時間 




ここのところ、前にも増して私は書が好きになっている。
笑ってしまうくらい、自分でも。
昔から字を書く事が好きだったけれど、そしてだからこそ今の自分がいるのだけれど
書道というものがこんなにも奥深く、そして心惹かれるものであったなんて
正直ここまでとは思ってもいなかった。
とにかく1分、1秒、無駄にはしたくない。
もうすでにこれまで随分無駄に遠回りをして過ごして来たのだから(笑)


もちろん、無駄に過ごした、とは言っても
本当にその遠回りが無駄だったと思っている訳ではなく。
無駄なことなどこの世界には一つもない、それもわかっているし
実際自分にとっても、その回り道がなかったら今の自分の半分も存在してはいなかっただろう。
その代わりに、違う自分が存在していたかもしれないけれど。(笑)


今までのどの経験も、どの出逢いも、私にはなくてはならないものだった。
それはずっと変わらないし、これからもそんなことの繰り返しなのだろうと思う。
けれど、自分に限られた時間はどんどん短くなるばかり。
無駄なことをしている時間などないっていう気持ちが最近波のように押し寄せる。


今年に入ってから、狂気的なほどに書に傾倒している自分がいる。
抑えられないものがある、説明出来ないほどに。
毎晩、毎晩、時間さえあれば書いていたい、眠る事も忘れて、考える事も忘れて。
それで遠回りしてきた時間を、取り戻す事が出来るのなら。


…な〜んて、こんな風に書くととってもイっちゃってるみたいに聞こえるかもですが(笑)
その実、めちゃくちゃ楽しいから出来ることで(*´∀`)
ただただ、好きだから出来ること、ってそれだけなのですけれどね^^


きっと多分、今の私は、そういう微妙なお年頃…ってことなんだろう。(笑)




category: わたしについて

Posted on 2016/05/21 Sat. 22:26 [edit]  /  trackback: 0  /  comment: 0

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。