書心忘るべからず〜夢のあとさき

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向き合う 

IMG_7507.jpg


日々の書いている時間は、ほとんど深夜の事が多い私です。
家の事とか仕事とか、昼間は優先順位が色々あるので
ゆっくりと向き合って書ける時間となると夜になってしまうのです。
もちろん、一日オフの日もありますので
そんな時は昼間っからずっと書いていられますけれど(笑)


書いている時間は、ほとんどが古典に向き合う時間になりますが
同時に自分と向き合っているんだな、と感じます。


上手くいかない日もあったり
どうにも泣けてくるくらい
自分の下手さ加減が嫌になる日もある
そんな自分に逃げていたのでは成長はないから
嫌になっても向き合うことしかないんだと思う。


比較対象は自分であって他人ではない
もちろん、良い作品を見ればそんなものが書ける人が羨ましく思う
そんな風になりたい、追いかけたいと日々思う
でもそれは比較ではなくて目指したい方向性や憧れの気持ち
そういう存在は自分を奮い立たせる為にはなくてはならないもの


でも、向き合うのはあくまでも自分。
自分がどうありたいか。
人がどうだからとかではなくて


純粋に学び、追い求めるものに近づくこと
人にはそれが色んな風に映るのかもしれないけれど
私は私の道を歩く。たとえ理解されなくても。


自分で、そう決めたのだから。



※半夜起邊聲
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category: わたしについて

Posted on 2018/06/17 Sun. 22:45 [edit]  /  trackback: 0  /  comment: 0

息が出来ない 



日々、やるべき事に追われて
…それは世間のみなさんそうだと思いますが

なかなか思うように思う事を出来ないのが世の常。
そうこうしているうちにもう今年も一月が終わってしまい…

このまま行ったら、ホントにあっという間に今年も終わってしまう、
なんて事になりかねない気がして来ました(笑)


それでも、私は好きな事を仕事にしているし、
時間はあるものではなく作るもの、というのも
この数年自分が実際に感じて来た事でもあります。


本気で何かに夢中になったら
本気で何かを得たいと思ったら
寝る時間も食べる時間も惜しくなくなってしまう


そのために常に寝不足がつきまとっていますが^^;
それもずっとやってると慣れて来るもんです(笑)


何のために?
一体何を達成するためにやっているのか?
ゴールはどこなのか?

…なんて、そんな事を考えているうちはきっと
何かに打ち込むことなど出来ないのだと思う。
ただただ気持ちがあるのみ、理由なんて自分でもわからないんだもの。


夢中になったらひたすらまっすぐ。
色んな数多くのものに気持ちを注ぐ事は出来ないけれど
こう、と決めたものにはとことん。


書きたいものは溢れるほどあって
書への気持ちも止めどなく溢れ出す。
時々、自分でも息が出来ないと感じることがあるほどに。


息が出来ないほどのものに出逢えた
私の人生は今この時点でも充分に幸せだ、と思う^^



※写真は西川寧先生の臨書。

category: わたしについて

Posted on 2018/02/11 Sun. 07:52 [edit]  /  trackback: 0  /  comment: 0

新年に思うこと 

新年になると、何となく去年までの事がリセットされるような
リセットされたいような(笑)
そんな気持ちになったりするものですね^^;

つくづく、人は弱いものだし、自分も然り、
色んな事に一喜一憂、しないようにと思いながらも
気がつけばそんな自分がいてしまう。
なーんにも気がつかず、気にもならず、
平然と暮らしていけたならどんなに楽なことでしょう。



先日、セミナーのようなものに参加してきました。
その中の話で


起こってしまったこと、今ある現実、
それは絶対に変えられない事実としてそこにあるけれども
でもそれは、受け取る側の解釈の仕方で変化するものなのだと。


ポジティブに受け取ればポジティブな出来事として。
ネガティブに受け取ればネガティブな出来事として。

あぁ、本当にそうだな、と思いました。

結局この世界は自分が作り出しているものなのだから。
いつもそう言っているのに
何かが起こるとついその本質を忘れてしまう。


去年の私は、今信じているものを信じきることが出来なかった。
何が起こっても、何があったとしても信じ切るべきだった。


今更、去年の事を言っても後の祭りではありますが、
今年は、信じているものをトコトン信じ切る年にしたいなぁと思うのです。
それがきっと、私自身、一番心地いい。
心地いい事が、何よりのこと。
心地いい事が、正解、なのだと思うから。





category: わたしについて

Posted on 2018/01/08 Mon. 18:44 [edit]  /  trackback: 0  /  comment: 0

自然体であるということ 

久しぶりの更新は、書から離れてみようと思う(笑)

考えてみればずっと 書の事ばかりを考えている日々だった。
それは今始まったことではないけれど(笑)
夢の中でも臨書をしていた…つい先日のこと^^;
呆れてしまうけど、それが今の私なんだから仕方がない(笑)


…あ、書の話から離れるんだった(笑)




なんていうか、日々色んな事がありますね^^;
良い事も、悪い事も、普通の事も、何でもない事も
その度に、何か意味があるのかと思ってしまう。

何か起こる度に、自分が何か試されているのか…
こういう時の心の持ちようを試されているのかと思ってしまう。

日々色々変化する。
昨日と今日ではまるで景色が変わったりする。
その変化にどう対処するのか、常に試されているのか?と思ってしまう。



そんな時に結局落ち着くところは、「自然体」ということだ。



亡き父からの教訓だった。
昔から言われて育った。「どんな時も自然体でありなさい」と。

自分を本当の姿よりも大きく見せようとしたり、
本当の姿よりも強く見せようとしたりするなかれ。
ありのままの自分の姿で、自然のままに生きなさい、と。


「自然体」
一番簡単なようで、実は一番難しいのかもしれない。
生きているだけで色んなものを背負い込むのが人間。
それがいつしか堅い鎧のようになって自分をガードする。時には人を攻撃もする。


長い間かけて出来上がった堅い堅い鎧を、一枚一枚はがせるのかどうかも全て自分次第で
誰かが剥がしてくれるわけじゃない。手伝いはしてくれても。
剥がす手伝いをしてくれる人を受け入れられるかどうかも自分にかかっている。


時には、自然体が何なのかが自分でもわからなくなってしまったり。
どうある事が自分にとって自然なことなのか。


きっと多分、「しっくり来る」って事が自然体ってことなのかな。
自分で自分が嫌になったり、やってて気分が悪い事、それは不自然なこと。
それを素直に認める勇気を持てるかどうか、それって結構勇気のいることで。
大抵は、私はこれでいいんだからって突っぱねる。そうじゃないことでも。
自分で自分の不自然さを認めない限り、結局変われないんだろうと思う。


大昔、私も今とは大分違う人間だった(笑)
自然体にと言われながら、実はそうじゃなかったのかもしれない。
でも自分で自分の嫌だと思うところを認める事が出来たとき、とても楽になった。
そして少しだけでも、そこから変われたと思う。
楽になれる、ってとっても大事なことで。


人は変われないとよく言うけれど、私はそうは思わない。
だから今も、変えたい自分の嫌なところを認めていきたいと思う。
認める勇気を、持ち続けたいと思う。


category: わたしについて

Posted on 2016/09/02 Fri. 16:42 [edit]  /  trackback: 0  /  comment: 0

母と私と欧陽詢 




今日は母の三回目の命日。
予定していた用事がキャンセルとなり、思いがけずゆっくりと過ごせる一日に^^


両親の命日には必ず写経を書く事にしています。
今日は写経から始まった一日となりました。
最近小筆の鍛錬を怠っていたため、出来はヒドい有様^^;
でも今日は上手い下手ではなく、気持ち優先、ということで!(笑)
もっと小筆の練習もしなくては、と肝に銘じた次第です^^;

うちはちょっと(多分)変わっている家なので、三回忌でも
法事をやったり親族が集まったりお坊さんを呼んだりもしません。
常に心には両親を想う心がある。毎日が法要。
だから特別な事は必要ありません。
それは両親から受継いできた精神でもあります。
ただ、私の中で私が出来る供養の仕方、ということで
毎年写経だけは欠かさずに書き、色々な思い出を想い出す日にしています。
もう3年なんて、本当に信じられないくらい。



母方の祖父は学校や家で書道を教えて生計を立てていた話は前にもしましたけれど、
母はあまり昔の事を語りたがらない人だったので
祖父の情報って本当に少ないんですよね(^_^;)
それに、母自身は書をやってないので、
書に関しての知識ももちろんなかったわけで
そういう話を母から聞けることは皆無だったのですが
私が大人になってちゃんと書道を学ぶようになってからわかったことがあって、
それに気がついた時、鳥肌ものだったのでした。


母には双子の姉がいるのですが、二人の名前を陽子と詢子、というんです。
母が詢子。
書道をやっている方はもうお気づきかと思うのですが(笑)
そう、母姉妹ふたりで「陽詢」となるんです。
母の詢子という名前の漢字が珍しいので
昔からいつも絢子に間違えられることが多くて
何故こんな漢字を使ったのか
母に名前の由来は何なのかを尋ねた事もありました。
母の返事は「父が書道なんてやってたから漢字にこだわってたんでしょ」、とそれだけ^^;
でも、漢字にこだわっていたのなら、陽子だってもっと難しい漢字があったのではないか、
私は母のその説明に腑に落ちないものを感じていたんです(笑)


そして大人になり、私が書道を学ぶようになり、突然気がついたのです。
あれは欧陽詢からとったものではなかったのかと。
祖父の情報は全くありません。吉田苞竹先生の門下だったこと以外、
誰をよく臨書したのか、誰に影響されていたのか、全く知る由もありません。
でも、母の名前の秘密に気がついた時から
きっと祖父は欧陽詢をよく学んでいた、あるいは好きだったのではないかと思うようになりました。
娘の名前につけちゃうんですもの。しかも双子ふたりに。
書道をやっていて欧陽詢を知らぬはずがない。
偶然二人の名前をそうしたとはとても思えませんでした。


欧陽詢といえば九成宮。
元々はあまりやりたくない楷書(^_^;)笑
だってあまりに綺麗すぎてレベル高すぎなので(^_^;)
でも、母を通して祖父の想いを垣間見た?(勝手に笑)以上、
やはりそれを学ぶべき、と思うようになりました。
なので最近はずっと九成宮、書き続けています。
もちろん時々他のものも書きますけれどね。
九成宮はどんな臨書をやった日でも必ず一枚は書くようにしています。


…あるいは勘違いかもしれません(笑)
本当に単なる偶然で陽子と詢子と名付けただけなのかも
それでも構わないのです^ ^
勘違いが高じて苦手が得意になってくれたら何よりのこと^ ^
それに何だかそんな妄想をしているとロマンが広がるじゃないですか!(笑)


今日もこれから九成宮。
天国のおじいちゃんも、まさか孫がこんな書道バカになるとは
夢にも思っていなかったことでしょうね(笑)
父と母も一緒になって苦笑いをしている事でしょう(笑)


そんな事を想いながら、母の三回目の命日は過ぎていきます…


臨九成宮

category: わたしについて

Posted on 2016/07/22 Fri. 14:07 [edit]  /  trackback: 0  /  comment: 0

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